プロミスは大手消費者金融として全国に広く知れ渡っており、良心的な金利とサービスが人気のカードローンです。
しかし、プロミスが今の地位を築きあげるまでには、知られざる苦労があったのをご存知でしょうか。
そこで、今回はプロミスがこれまでに歩んできた歴史についてご紹介致します。
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目次
プロミスの始まりは児童施設がきっかけ?
プロミスの創立者である神内良一氏は、元々児童福祉施設の職員として働いており、貧困を極める施設の中で苦しむ子供達の姿を見てきました。
そこで、神内氏は児童福祉を充実させるためには、資金が必要だと気がついたといいます。
消費者金融と児童福祉施設といえば、繋がりがないように聞こえますが、プロミスは子どもを幸せにしたいという思いから始まったのです。
プロミスは農業にも力を入れている?
元々、児童福祉の充実のために始めた金融業ですが、神内氏は農林省でも勤めるなど、農業にも非常に関わりを持っていました。
そのため、プロミスの前身である関西金融を大手消費者金融へと成長させた後に、有限会社である神内ファーム21を創立し、農業への融資にも力を入れていったのです。
「児童福祉と農業」プロミスの創立者である神内氏は、金融から日本の未来を支えようとしたのでした。
プロミスは業界初のサービスがたくさん!
プロミスには業界初のサービスが盛りだくさんとなっています。
まず、特筆すべきは消費者金融業界内で初めてコンピューターサービスを導入した点です。
まだまだ、多くの金融業者がコンピューターの導入に取り組んでいない1974年に、プロミスは電子サービスへと取り組んでおり、それから10年も経たないうちに全PCのオンライン化を達成しました。
審査スピードの向上や、即日融資を実現するためには、PCとネットワークが必要不可欠です。
プロミスが業界最大手として長年君臨することが出来たのは、こうした先見の明が優れていたからなのです。
業界初のカードローンシステムを導入?
プロミスが一気にシェアを広げたのは、斬新な融資方法にありました。
それまでは質屋などのように、物などを担保にして融資を行うのが普通でしたが、プロミスでは顧客の信用度を判断して融資を行うという新しいサービスに着手しました。
また、借り入れの際も、プロミスチェックと呼ばれる手形の束を渡し、限度額内であれば何度でも借り入れが出来るシステムを構築しました。
これは現代のカードローンと同じような仕組みとなっており、返済方法でもリボ払いを導入するなど、時代をかなり先取りしていたことが分かります。
貸金業法の改正によって最大のピンチへ…!
創立以来順調に顧客を増やしてきたプロミスですが、2010年の貸金業法の改正によって創業以来最大のピンチを迎えることになりました。
2010年以前のキャッシング業界では、グレーゾーン金利問題が蔓延っていまいた。
グレーゾーン金利とは、利息制限法と出資法という二つの金利に関する法律の間に生まれた違法金利で、法律には反しているが罰則がないという状態の金利帯のことを指します。
貸金業法の改正によって、このグレーゾーン金利は前面撤廃されることになり、多くのキャッシング業者は経営に大打撃を受けました。
また、過去の融資に対しても過払い金請求が認められたので、大手消費者金融は軒並み多額の債務を背負うことになってしまったのでした。
プロミスは三井住友銀行グループに!
経営が困難になったプロミスは、その後三井住友銀行のグループに加わることで、経営難から逃れることに成功しました。
更に、銀行グループという安定した資金源を手に入れたことにより、業界内でも最安の金利で融資を行えるようになったのでした。
プロミスは現在消費者金融の中でも最大規模の業者となっており、審査、金利、サービスとどれをとっても一流のカードローンを提供しています。
何気なくCMなどで名前を知っていたというプロミスも、たどってきた歴史を知っていると、違った見え方が出来るのではないでしょうか。